一休さんのおかげ
小説、一休伝説(岡松和夫)を拝読した。一休さんは大徳寺47世であることや真珠庵で馴染み深い。また天皇の子であることも知られている。とんち話は全て後世の作り話らしい。狂雲集という漢詩集を出している。難攻不落の漢詩集であり解説書は山のようにあるが、死して500年を超えるのにまだ手ごわいと言われる。破戒僧でありながら一休文化圏を作り上げた。村田珠光、連歌の宗長、能楽の金春禅竹など芸能関係者が多数帰依しており、いずれもその後の文化を大成している。村田珠光は若い頃喧嘩早くて、「このままでは自らを滅ぼすこともあろう、宇治の茶園で百姓と同じ土にまみれてみるように」と一休が勧めた。言い付けを守り5年して戻ってきた時、一休は「これがお前の一生の公案だ、決して褒美ではない」と言いながら渡したのが、円悟克勤の墨蹟(印可状・国宝)。作者は山上宗二記を参考にしたと書いている。宋代の巨匠の墨跡を与えられ、珠光はこの墨跡こそ、自分の茶の道と後に気付いた。義政の豪華な茶のたしなみと外れ、まるで違う茶道へと移行していく。珠光の特別の才能を見抜いた一休が今ある茶道の礎の一端を担っている。